川獺伏草  ~おがどらの雑記ブログ~

自由気儘に書きたいことを書き連ねるブログです。

SNSに自撮りを上げる人

 [2/23 13:00 更新の追記はこちらから] 

 どうも。おがどらです。

 結論が出たので軽くまとめます。

 これ読んだらSNSやるのマジで馬鹿らしくなると思うんで、SNSに自撮りを挙げまくっている今が最高に幸せな頭のお花畑な人は見ない方がいいと思います。多分病みます。

 あと、前半はわりとありきたりな話なので、時間の無い方はこちらから飛んで読んでください。

人間の行動に関する基本的な考え方

 人間の行動に理由を紐付けるなら、マズローの欲求5段階説に当てはめるのが手っ取り早いです。大抵の人間の行動は

  1. 生理的欲求
  2. 安全の欲求
  3. 所属と愛の欲求
  4. 承認欲求
  5. 自己実現の欲求

 の5つに分類された欲求のいずれか、または複数の欲求に基づいています。忘れても大丈夫。Google大先生に「5 欲求」と入力して検索すれば出てきます。何なら4とか6とかでも出てきます。

 例えば、Tweetする行動は、所属と愛の欲求(共感が欲しい)、承認欲求(いいねが欲しい)等に分類されます。しかしながら、例えば

 「明日 6時 新宿 #メモ」

 というTweetになりますと、いいねや共感が欲しいわけではないですね。この場合は新宿で何があるかによりますが、例えば仕事だと生理的欲求の意味合いが強くなります。(仕事で収入を得る→収入で食事をする)もちろん、収入で何をするのかにもよりますが。(以降、このブログ内ではお金を得る欲求を生理的欲求としています)

 本題

 さて、本題に移りますが、SNSに自撮りをアップする一般人の理由を考えられるだけ挙げてみました。

  • 仕事として(スポンサーがついている)
  • メモ、記録
  • みんながやっているから
  • 写真を撮り、現像したいから
  • 目立ちたい
  • 自慢
  • 反応が欲しい
  • 自分が何かを遂げたことの証明

 目立ちたい、自慢、反応が欲しいというのは承認欲求ですね。自分が何かを遂げたことの証明も、間接的に承認欲求と言えます。特に目立ちたい、インフルエンサーになりたい、有名になりたいという欲求は最近の若者に強く表れる欲求で、TikTokとかの広告で呆れるほどみた文字列ですね。もちろん、有名になって広告収入で稼ぎたい、それを仕事にしたいという人間も少なくないと思いますが、SNS上において、基本的には「有名になるから仕事が入る」のであって、決して「仕事を入れるために有名になる」のではありません。(そういった人は夢見過ぎです。)

 また、メモ、記録に関しては「自分が写っている必要無くね」というツッコミが当てはまります。極論言えば「SNSにアップロードする必要すらない」のです。だってメモを見せびらかす必要は無いですからね。ただ、SNSがメモ以上に身近になっている人もいる以上、完璧には否定できないですね。( 先ほどの例で言う「明日 6時 新宿 #メモ」とTweetする人)ぼくはそういったことはFF0の鍵アカウントでやっています。

 「みんながやっているから」これが厄介。所属と愛の欲求です。日本人は同調圧力が大好きなので、人と違った行動をしている人、もしくは人と同じ行動をしない人を疎外する傾向にあります。もちろん全ての日本人に当てはまるわけではありませんが。これは可哀想というか。僕はたまたまそういった集団には所属しませんでした。(もしかしたら既にハブかれていたのかもしれません。)でもそういった環境を作り出す「周りの人々」は承認欲求故にSNSに自撮りをアップロードする人たちでしょう。

 そして「仕事として」は一部の人たちの生理的欲求です。もちろん、一部なので一般人としてカウントしません。

 「写真を撮り、現像したいから」。何を隠そう、僕のInstagram運用の理由なのですが。(もちろん自撮りはアップロードしていません)僕はInstagramにでもアップロードしないと写真の現像をしないので、ノルマ的な意味でInstagramをたまに更新しています。現像ってアップロードする先が無いとしませんもんね。これは自己実現の欲求に当てはまりますが、もちろん普通の若い人たちの大半は「現像ってなに?」「Rawってなに?」という状態ですので、これには当てはまらないでしょう。

 つまり、SNSにアップロードする人の理由の大半は「承認欲求を満たしたいから」

 ではなぜ、僕は「マジで下らなさ過ぎる」とTweetしたのか。それは、

SNSの反応による承認は錯覚だから

 です。

 今度は自撮りをアップロードする側ではなく、自撮りをタイムラインで観測する側に立ってみましょう。あなたは、その投稿に「いいね」を付けるでしょうか?

 広告やリツイート、シェア等で回ってきた投稿以外、すなわちあなたがフォローしているユーザーの自撮りなら、さほど良く思わなかったとしても、「いいね」してしまうと思います。中には既読感覚で付ける人もいるかもしれません。かくいう僕もその一人です。日本語にはいい言葉があります。こういった行為を「お世辞」と言います。現実でも懲り懲りなお世辞の言い合い、わざわざネットに持ち込むとかちょっと人間関係極めすぎじゃないですか?人間関係の疲れをどこで発散してんだよ。

 なかには、本当にいいと思って「いいね」を押すことがあるかもしれません。ただ、大半の若者がSNSに載せる事柄と言えば、プリントシール機で写真をとった、パンケーキを食べた、タピオカを飲んだ、原宿に行った、テーマパークに行った、どまりです。そんなの金を払えば誰だって出来る。

 あなたは人が遊んだという経験に対して、心の底から「いいね」と思えますか?

 私は少なくとも、大半の投稿をいいねとは思えません。大半の投稿は「無関心」です。最近のSNSのキラキラ系画像投稿でいいと思って「いいね」を押したのは、ミラコスタに宿泊した相互さんの投稿くらいです。僕はその画像が自撮りであるか否かに関わらずそれをいいと思えることを踏まえれば、やはり自撮りは不要ではないかと思えてしまうわけです。というかこれに気が付いたとき、自撮り、非自撮りに関わらずマジでSNSやってる意味無いとすら思えるんですけどね。

 ただ、アップロードする側の心境からすれば、自撮りに対して反応があることであたかも「自分が」周囲から認められている感覚に陥る。例えそのいいねしている人がその投稿がきれいだ、そのご飯がおいしそう、そのアトラクションが楽しそう、ましてや隣の人がかわいい、そもそも既読感覚で「いいね」しているだけ、、、そんな風に思ったとしても、つく「いいね」は色も形も統一された一種類のみ。それを投稿側は全部「自分が」かわいい、かっこいい、綺麗、などといった言葉に脳内で変換してしまう。それが自撮りの恐ろしさです。言い換えれば、自撮り投稿への分散された感情は(無感情も含め)SNSという漏斗を通すことで全て「自分への」「いいね」へと化けるのです。それが100件も200件も反応があろうものなら、まるで自分が人気者にでもなったかのような錯覚を起こすことでしょう。もちろんアイドルや女優並みに可愛い人がやれば別でしょうけど。

 つまるところ、自撮りによって承認欲求を満たすことは出来るが、実際には承認されているとは限らない、ということなのです。また、たとえ承認されていたとしても、投稿者はその承認を過剰に評価しがちなのです。

 

 それに気が付いたら全てが馬鹿らしくなりました。SNSから承認欲求を受けている人、実質虚無から欲求を満たしていることを思えばSNSのエネルギー生産力には恐ろしいものがありますけれど、そんなものからくりを知ってしまえばなんの力もありません。前書きに

 これ読んだらSNSやるのマジで馬鹿らしくなると思うんで、SNSに自撮りを挙げまくっている今が最高に幸せな頭のお花畑な人は見ない方がいいと思います。多分病みます。

って書きましたけど、その意味分かりました?僕がこういった人で、今まで得ていた承認欲求が空虚だと知ったら本当に自信を無くして病むと思います。

 マジで病んだ人がいたらごめんなさい。誰でも出来るアイデンティティの確立の方法(高2で書いた学校の課題です)をブログに上げるので、もしそういう人がいれば僕に知らせてください。


  追記(2/23 13:00)

 「メモ代わりに使っているが、隠す必要もないし見られた方が続くから投稿している」という方がいらっしゃいました。

 僕も「見られた方が続く」という理由でInstagramを更新していますし、そういった人がこの世の中に存在するということは理解できます。しかしながら、自撮りを隠す必要がない、というのは私には理解を超えた何かではないかと思います。なにかの投稿がきっかけになり炎上、顔特定が怖すぎますので。

 実は一度、無断で投稿された集合写真から自分の顔写真を無断で切り出されてアイコンとして使われたことがあり、それ以降集合写真すら怖くなっています。

 そのときは炎上したとかではなく、単に個人のおふざけ半分でやられたのでネットの怖さを体感しました。スクショして訴えれば良かったのかな。(現在は削除されています)